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和歌山家庭裁判所田辺支部 昭和49年(家)56号 審判

申立人 林康雄(仮名)

相手方 下田三郎(仮名)

主文

相手方は昭和四九年二月二五日到達の書面を以て申立人からなされた本籍和歌山県西牟婁郡○○町○○△△番地井上光の戸籍抄本の送付請求につき、同人の委任状、同意書または承諾書が添付されていないことを理由としてこれを拒んではならない。

理由

本件申立の理由は、申立人は昭和四九年二月二五日相手方に到達の書面を以て相手方に対し手数料および郵送料を納めて主文記載の戸籍抄本の送付を請求したところ、相手方は同日主文記載の理由により、右請求を拒否し右請求書を申立人に返戻したものであるが、右は戸籍法一〇条所定の戸籍公開の原則に違反し不当なものであるから、同法一一八条により相手方の右処分に対し不服を申立てる、というのである。

これに対する相手方の意見は、戸籍簿の閲覧、戸籍の謄抄本の請求については過去の事例に照らし差別行為を意図した場合が少なくないので、その防止方法を検討中のところ、右請求が現実に差別行為を意図するものであるかどうかはその受理の段階においてこれを個別的かつ具体的に識別することがほとんど不可能であるから、その防止を図る方法として戸籍簿の閲覧、戸籍の謄抄本の交送付の申請を本人またはその親族以外の者がなす場合においては右本人らの委任状、同意書または承諾書の提出提示を求めることとしたものであつて、右制限は戸籍簿の公開によつて生ずる差別行為の誘発助長を防止するためやむを得ず行うもので、戸籍法一〇条一項但書所定の正当事由に当るものというべきである。したがつて右委任状等の添付なくしてなされた申立人の本請求を拒否した相手方の処分は正当であり、これを改めるべき何らの理由も存しない、というのである。

一件記録および当裁判所のなした審問、調査嘱託の結果等によると、申立人および相手方主張の事実関係はすべてこれを認めることができる。ところで戸籍法一〇条によると、何人でも手数料を納めて戸籍簿の閲覧または戸籍の謄抄本等の交付を、更に郵送料を納めて謄抄本等の送付を請求することができるが、ただ正当な理由がある場合に限り市町村長において右請求を拒むことができるものとされているのである。そして右請求が差別行為につながるおそれがあると認められる場合、市町村長において右正当な理由のある場合に当るとして右請求を拒むことができるものであることはいうまでもない。もつとも、右請求が差別行為につながるおそれのある場合に当るかどうかは右請求を受けた段階において個別的かつ具体的にその識別をすることは事実上困難でありその実効性を期待し難いことは相手方の主張するとおりである。そこで相手方は右差別行為の防止を確保する方法として戸籍簿の閲覧、戸籍の謄抄本の交送付等の請求を本人またはその親族以外の者がなす場合においては右本人らの委任状、同意書または承諾書の提出提示を要することとしたものであつて、右方法によるとき本人らの知らない間にその意思に反して右請求はこれをなし得ないのであるから、右差別行為防止の実効性はほとんど完全にこれを確保できるものと解することができるのであるが、一方、前記のとおり、わが国戸籍制度が公開の原則を採用していることからすると、相手方の採つた右措置は右原則に対し一般的抽象的に根本的な制約を加えることを容認し右原則を形骸化するに等しい結果となるものというべきであるから、戸籍法一〇条一項但書の解釈を著しく逸脱したもので違法であるとの評価を免れ得ない点のあることも否定できない。ところで、戸籍公開の制度が必然的に差別行為を誘発助長するものであつて右公開の制度と差別行為の防止とが二者択一の関係にあるものとするならば、元来差別行為が個人の尊重と法の下の平等という憲法的公序に違反するものである以上、その防止は戸籍公開の原則に優先するものというべきであり、特に戸籍事務が国の行政事務で市町村長に機関委任してこれを行なわせているものであることからすると、むしろ戸籍公開の原則を定めた戸籍法一〇条は憲法一三条、一四条に違反して無効であると考える余地さえあることとなるのである。しかしながら、戸籍の公開が差別行為につながりこれを誘発助長するおそれのあることは相手方の主張するとおり、これを否定できないとしても、これが差別行為の禁止と二者択一の関係にあるものとは解することはできないのであつて、その運用によつては差別行為の誘発助長を防止しながら、なお戸籍公開の原則を維持して行く余地が残されているものと解することができるのである。これを相手方の採つた措置についてみると、前記のとおり、相手方は戸籍の公開が差別行為につながりかつこれを誘発助長するものであるとの認識から、これを防止する目的の下に、戸籍簿の閲覧、戸籍の謄抄本の交送付等の請求を本人またはその親族以外の者がなす場合においては右本人らの委任状、同意書または承諾書の提出提示を要するものとして、第三者による自由な戸籍簿の閲覧、謄抄本の交送付等の請求に決定的ともいえる重大な制約を加えているものであつて、右は戸籍公開の原則と差別行為防止との運用上の調和を周到かつ慎重に配慮しているものといえず、たやすく戸籍公開の原則を捨ててこれを形骸化したものと解することができるのである。してみると、相手方の採つた右措置は国から委任を受けて戸籍事務を管掌する者として遵守すべき戸籍法一〇条の規定に違反したもので無効のものというべきであるから、右措置に則り相手方が申立人からなされた本件戸籍抄本の送付請求に対してなした処分は不当であるものといわなければならない。よつて、申立人の本件申立は理由があるものというべきであるから、特別家事審判規則一五条により相手方に対し相当な処分を命ずべきものとし主文のとおり審判する。

(家事審判官 高田政彦)

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